【仮想通貨小説】~仮想の果実 7~



エピローグ

 洋上の潮風が少し日焼けした顔に心地よかった。船室に飽きて甲板に出てきた陽一は
 
深呼吸して胸にいっぱい新鮮な空気を吸い込んだ。日本の港を出てから一週間が過ぎた
 
のだが、まだ夢を見ているような気分が抜けない陽一だった。夫婦は今、豪華客船で世
 
界一周の旅に出たばかりだった。和彦のマンションを訪れてから一年が過ぎていた。あ
 
の後、マンションを出て陽一達は真島さやかと合流したのだが自分の人生の中では一生
 
行く事は無いだろうと思っていた超が付く程の高級レストランで夕食を共にした。
 
「私も、和彦さんから初めて聞いたときは信じられなくて彼が悪い冗談を言ってるんだ
 
と思ってました」
 
 手には、ナイフとフォークを持ってさやかが言った。
 
「その気持ち、解る俺なんか和彦が喋ってることなんてほとんど聞いてなくて、これは
 
病院に入院させた方が良いのかななんて考えていたもんな」
 
 陽一はいかにも慣れてないという手つきでステーキを切り口の中に放り込んだ。その
 
隣では順子がエスカルゴをつまむのに苦労していた。
 
「そうよね、あたしなんか和彦の将来を悲観してポロポロ涙ばっかり流していたもの」
 
 順子が言った。
 
「なんだやっぱり、親父たち俺を病院送りにする相談してたのか、ひどいな」
 
 和彦がそう言って、苦笑するとそれを聞いていた陽一も順子もさやかも一斉に笑っ
 
た。食事が終わってコーヒー
 
を頼んだ時、陽一がほとんど聞いてなかった今までの顛末を和彦が話し出した。和彦が
 
買った仮想通貨それが全ての始まりだった。仮想通貨の名前は、ビットコインと呼ばれ
 
ていたのだが和彦がそれを手に入れた当時は仮想通貨そのものがあまり知られてなくて
 
和彦自身もアメリカから帰って来て仕事に忙殺されビットコインを買ったことも忘れて
 
いた。買った仮想通貨はパソコンのベッドの中で静かに眠っていた。時が来るのを待つ
 
ように・・・・・。
 
「それから、何年か経ってある日ジョージから突然連絡があったんだ」
 
 ちょっと喋り過ぎたのか、喉を潤すように和彦はコーヒーを飲んで話の続きを始め
 
た。
 
ジョージは俺のアメリカの友人なんだけど、そのジョージが言うには、いま仮想通貨
 
が大変なことになっているから。すぐビットコインの事調べてみろっていうんだ。何の
 
ことかさっぱり解らなかったけれど取り敢えずネットで調べて見ると・・・・・」
 
「そ、それでどうなったんだ」
 
 早く、続きをきかせろとばかりに陽一がせかすように言った。
 
「まあ、そう慌てないで、順を追って話すから」
 
 和彦は話の続きを始めた。
 
「俺が、アメリカに出張した時に買っていた仮想通貨、つまりビットコインが信じられ
 
ないことに約十年で100万
 
倍まで価値が上がっていたんだよ」
 
 陽一も順子も固唾をのんで聞き入っていたが、さやかはこの話は知っていたらしく一
 
人落ち着いてコーヒーを飲んでいる。
 
「このことを知ったのが一年半前だったんだけど、それから自分の気持ちを落ち着かせ
 
るのに大変だったよ、だっていきなり大金持ちになった訳だろ、起業してそれで成功し
 
て成金になったとかだったら解るけど、実際は何にもやってなくてある日突然そんな世
 
界にポーンと放り込まれたんだから」
 
 和彦は昔のことを思い出すような顔をしていった。
 
「じゃあ、商社をいきなりやめたのもそれが理由か?」
 
 陽一が確かめるように聞いた。
 
「そう、そうなんだいきなりというか半年くらい考えてなんだけどね」
 
「それなら、そうと言ってくれればいいのに」
 
 順子がちょっと不満そうに言った。
 
「無理だよ、だって自分自身が信じられない事を他の人に理解させるさせるなんて事は
 
到底出来ないと思ったしそれでこれからの事をじっくり考えようと思って会社を辞め
 
たって訳なんだ」
 
 和彦は、それから会社の起業の事や、ビットコインを円に利確したときの税金の話と
 
かを陽一と順子の質問も交えて出来るだけ解りやすく話して閉店時間ぎりぎりまで喋っ
 
ていた。そして一年があっという間に過ぎ夫婦は今、洋上の人となっている。二人とも
 
和彦がそうだったように状況があまりに変わったのでついて行くのに精一杯という感じ
 
はあるのだが、それでも一年前に比べたら随分慣れてきた。
 
「和ちゃんとさやかさん、パリで挙式するんでしょ」
 
順子が言った。
 
「ああ、その時は二人で港まで迎えに来るって言ってたけど、しかしいまだに信じられ
 
ない気分だよ。世界一周の途中パリで和彦とさやかさんのの結婚式に出席だなんて」
 
 陽一は青い海を見ながら独り言のように言った。
 
「そうね、でもこれは夢じゃない現実に私たちは豪華客船の上にいるわ」
 
 しみじみと順子が言った。
 
 船はその巨体に結構大きな波を受けているが微動だにもせず進んでいる、まるでそれ
 
は大きな財産を一気に持った坂田家のようでもあった。甲板にあまり長くいすぎたせい
 
で少し寒くなった二人は船室に戻ろうとした、その時、少し強い風が二人に吹いた。見
 
ると船の前方に黒い雲が湧き上がっている。どうやら雨になるようだ。その黒い雲を見
 
ながら陽一は思わず呟いていた。
 
「良いことばかり続くはずはない、良いことばかりは・・・・・」
 
「あなた、何ぶつぶつ言ってるの早く行きましょう」
 
 順子がせかすように言った。夫婦は今まで歩んできた人生の道を歩むようにゆっくり
 
とでもしっかりと船室の方に向かって行った。
 

【仮想通貨小説】~仮想の果実 6~


暗雲の向こう側

坂井家の住宅は、市街地の中心からかなり郊外の方にあるので車で飛ばしても市内まで三十分はかかる。走りはじめ
た車内には妙な空気が漂っていた。今や猜疑心の塊になっている父親は、押し黙ったままだし,息子の将来を悲観して
いる母親は次から次に流れて来る涙をハンカチで拭うのに精一杯の状況だったが、運転している和彦だけはカーステ
レオから流れる音楽に合わせて鼻歌を歌っていた。市街地に入り暫く走るとマンションが建ちならぶ街並みに変わり
始めた。そのマンション群の中でもひときわ目立つ高層マンションの前で車は止まった。
「さあ、着いたよ」
 と、和彦は言った。
「ごめん、ここで降りて待っててくれない?車を駐車場に置いて来るから」
 怪訝そうな、顔をしている二人を降ろして車は走り去ったがほどなくして和彦は戻ってきた。
「じゃあ、行こうか」
「行こうかって、これ誰のマンションだ」
 陽一が、そう聞いたが和彦は答えずにマンションの入り口の方に向かって歩き出した。入口付近のフロアーはい
ままで陽一も順子も見たことがないくらいピカピカに磨きあげられた大理石で、そこを通り過ぎると自動ドアが
あり,その先には指紋認証の為に壁に埋め込まれたディスプレイがあった。このマンションはかなりセキュリティ
が厳しい場所のようだった。
「こっちだよ」
 和彦が指し示した方向にエレベーターはあったが、ちょっと引き気味の両親をエレベーターに押し込むように乗せ
ると和彦は最上階のボタンを押した。エレベーターの中でも車と同じく沈黙が続いていたが、あっという間にエレベ
ーターは最上階に着いてしまった。呆気に取られている両親を部屋に招き入れると和彦は言った。
「ようこそ、僕の会社へ」
「えっ!」
 陽一と順子は同時に大きな声を出した。確かに言われてみれば住宅というよりも事務所に近かった。部屋は約二十
畳程はあろうか、間仕切りなどはなく広々とした部屋に事務用の机が三、四台ありその上には所せましといくつもの
パソコンが並んでいた。パソコンのディスプレイには何やら株の相場のようなグラフがせわしなく上下していた。
「和彦、本当にお前のマンションでお前の会社なのか?」
 陽一は、まだ信じられないというような顔をしている。順子も気持ちは陽一と同じだった。
「そう言うだろと思って、これを用意してたよ」
 和彦はそう言うと、机の上を指でコツコツとつついて書類らしいものを出した。一冊目の書類には譲渡契約書、二
冊目には権利書と書いてあった。渡された書類にひととおり目を通した陽一が和彦の方をみて言った。
「ふぅむ、どうやら権利書も契約書も本物みたいだな」
「当たり前だろ、正真正銘本物なんだから」
 和彦が不満そうに言った。
 もう一度、書類のある部分を見て陽一は「えっえー!」と又、変な声をあげた。隣にいた順子が何ごとかという顔
をして陽一を見た。
「ここ、ここを見てみろよお母さん」
「何よ、何なのよ一体」
 そう言いながら、陽一が指さしたところを見た順子の目が釘付けになり眼を見開いたまま止まってしまっていた。
「一億二千万・・・・・」
 陽一が呻くように呟いた。それはマンションの譲渡金額であった。

【仮想通貨小説】~仮想の果実5~


求めない誤解

 陽一と順子は、二階の和彦に聞こえないように気を使いながら小声で話しをしてい
 
た。和彦はまだ寝ているようだ。夫婦の話の中心はどうやって和彦を怒らせずに病院に
 
連れて行くかだった。あれから陽一は、和彦から自分がいかにして億万長者になったか
 
という話を聞かされたのであるが陽一は、黙って「うん、うん」と頷いてできるだけ和
 
彦を刺戟しないようにおとなしく聞いていた。もちろん、話の内容などはほとんど聞い
 
ていなかった。ただ、陽一は、和彦が不憫でならなかった。和彦は仕事に疲れ人生に疲
 
れ何もかも投げ出してしまったに違いない、そして空想と現実のはざまでその矛盾に耐
 
えきれなくておかしくなってしまったんだ。きっとその中で生まれたのが、あの空想通
 
貨だったに違いない、というのが陽一の出した結論だった。
 
「病院、どこに連れて行くかなお前どこか知らないか?」
 
 陽一が囁くように順子に聞いた。
 
「私の、知り合いにそれ関係の病院を知っている人がいるからちょっと聞いてみるわ。
 
それよりあちらの親御さんには何て言ったらいいのかしら」
 
 陽一は、腕組みしながらリビングのサッシのガラスから見える景色を見るともなく見
 
て答えた。
 
「まだ、俺たちに伝えたくらいで向こうの親には言ってないんじゃないか」
 
「それなら、いいけど、まさかあの大金持ちって話はしてないでしょうね?」
 
 順子が、溜息をつきながら言った。一応、陽一は順子に昨夜の話をかいつまんで伝え
 
ていた。そのときの順子の愕き、落胆は尋常じゃなかったが夫婦の結論は、若い二人を
 
出来るだけ傷つけない方法で別れさせるということに決まったのである。
 
「さやかさんが可哀そう」
 
 順子が涙目のか細い声で言った。
 
「うーん、二人には可哀そうなことになるけど、これが最善の方法だと思うぞ」
 
「誰が、可哀そうだって?」
 
 テーブルを挟んで話しこんでいた夫婦の真上から突然声がしたので、「うわ!」「ひ
 
え!」と言葉にならない奇声をあげて二人は思わず椅子から立上ってしまった。
 
「なに、二人でコソコソ話し合ってんだよ」
 
 いつの間に、来ていたのか和彦が夫婦のうしろに立っていた。
 
「いや、なに、その、なんだ何でもないんだ。あっ、そうそう遠い親戚の話だよ。なあ
 
母さん」
 
 陽一は、慌てまくってしどろもどろに答えた。 順子は順子で、何よ私に振らないで
 
よと言わんばかりに陽一を睨んだ。
 
「どうせ、俺を病院送りにする相談でもしていたんだろう」
 
 図星を当てられて、陽一が焦って弁解したが額に変な汗が出ていた。
 
「違うんだよ和彦、さっきの話は遠い親戚の話だ」
 
 陽一の、あせっている様子を見ながら和彦は椅子に座った。まだ寝起きらしく頭は寝
 
ぐせがついたままボサボサである。
 
「母さん、コーヒー入れてくれない?」
 
 順子は、まるで壊れ物でも扱うかのようにおどおどとして台所に立った。
 
「はい、はい今すぐ入れてあげるからね。落ち着くのよ、とにかく落ち着いて」
 
 母親に入れてもらったコーヒーを一口、二口呑んだところで和彦が口を開いた。陽一
 
と順子の夫婦は少し上目遣いに自分たちの息子が何を言い出すのかと戦々恐々としてい
 
た。
 
「あのさ、そんな目で自分の息子を見るのはやめてくれないかな」
 
 和彦は、少し非難するような眼で二人を見て言った。夫婦は黙って和彦の言う事を聞
 
いていた。
 
「多分、こういう事になるだろうなと思って中々言い出せなかったんだよね。親父たち
 
の反応は予想通りだったよ、
 
言っとくけど俺は頭がおかしくなんかなっていないよ」
 
 親としては、息子の言うことをできれば信じてあげたい、でもあんな突拍子もない話
 
は信じられない、というのが正直な気持ちだった。
 
「お前の、話は現実味が無さすぎる」
 
 陽一が言った。
 
「私もそう思うわ」
 
 続けて順子もそう言いながら頷いた。
 
「解った、じゃあこうしよう今から街に出よう。そこで俺の言ってることが本当だって
 
こと証明するから」
 
 それから、しぶしぶ承諾した二人を連れて和彦、陽一夫婦の三人は春の日差しが初夏
 
のように熱く照り付ける中を陽一の愛車で出かけて言ったのである。
 

 

【仮想通貨小説】~仮想の果実 4~

 
 
四 
 
霧の中
 
 陽一は、書斎で酒の酔いを醒ましていた。夕食を食べながら切り出した二人の大事な話というのは、やはり結婚の事であった。夫婦ともだいたい察しはついてはいた。
 
とはいうものの具体的に結婚の二文字が出てくると少しだけ気おくれする感じは否めなかった。二人の今後を考えると正直素直に喜べない自分達がいた。これが、一年前のまだ商社に勤めている頃なら諸手を上げて万歳三唱したいくらいだったが・・・・・。 
 
しかし、まあ二人とも親が反対して止めるような歳はとっくに過ぎている、が、やはり心配が次から次にさざ波のように陽一の胸に押し寄せてくるのだ。
 
 
 
「和彦一人なら別にどうとでもなるが」
 
 
しかし、事はそんなに簡単ではないと思うのだ。何より、さやかさんがいる、これに子
 
供が出来たとかそういう事態になればどうなるか…だいいち結婚式までに仕事が見つか
 
らなければ、俺はどんな挨拶をするんだ?
 
 
 
「えー。息子の和彦はただいま無職で実家に居候していまして・・・・・」
 
 
だめだ、だめだ、だめだ、そんなこと言える訳ない。それにこんな状況だとまず相手の
 
親が反対するだろうし、親どころか親戚一同大反対だろう。
 
 
 
「まあ、反対されても結婚は出来るだろうが問題はその後だ。実際問題として結婚には
 
金がかかる」
 
 
最初は良い、二人とも熱に浮かされているようなもんだから問題はその熱が冷めた時
 
だ。結婚式しかり新婚旅行もそうだ二人が住む家はどうするんだ。そうとうな金がいる
 
ぞ、二人ともいい歳の大人なのだから貯金はあると思うけど、しかしそれもいつかは底
 
をつく、金の切れ目が縁の切れ目そこで二人は決定的な破局を迎える。などと、エンド
 
ロールのように、陽一がらちも開かないことを考えていたら彼女を送って行った和彦が
 
戻ってきた。そしてまもなく書斎のドアをノックする音が聞えた。
 
 
 
「親父、いる?入るよ」
 
 
 和彦が入って来たが、その手には缶ビールを二缶下げていた。それから約一時間くら
 
い和彦は話をしたが、それはにわかには信じがたい話だった。なぜ、和彦が缶ビールを
 
持って来たのかそこではじめて解った。酒を呑みながらじゃないととても聞けない話
 
だったのだ。
 
 
和彦の話は、商社にいた頃の海外出張から始まった。その時は、牛だか馬だかの飼料用
 
のトウモロコシの買い付けでアメリカ中を飛び回っていたらしいのだ。 当然、顧客で
 
ある農家だとか買い付けに関係する業者だとかをもてなすパーティも、結構開いていた
 
みたいなのだがその中の、一人と懇意になり友人になったアメリカ人がいてその友人が
 
本業とは別にその当時はやり始めていたネットビジネスとかをしていたらしい。その時
 
にその友人から強く勧められてある物を買ったらしいのだが・・・。
 
 
 
「それがさ、仮想通貨」
 
 
 和彦が缶ビールを一口飲んで、にやりとして言った。
 
 
 
「仮想通貨?なんだそれ」
 
 
「仮想通貨、正式には暗号通貨というんだけど、まあ簡単に言うとネット上だけで取引
 
される通貨の事だよ」
 
 
「???」
 
 
 陽一は、それこそ狐に化かされたような顔をして和彦を見ていた。
 
 
「それは、つまり株とか投資みたいなその類の話なのか」
 
 
「うーん、それとはちょっと違う感じだね。まあ、似て非なるものって事かな」
 
 
 和彦は、陽一にどう説明したら解ってもらえるかと少し困った顔をしてビールをもう
 
一口飲んだ。
 
 
 
「おいおいおい、それは違うだろ和彦、困った顔をするのはこっちだよ!」
 
 
 陽一は心の中でそう叫んだ。息子が訳の解らないことを言いだしてついにこい
 
つ・・・・みたいな気持ちになっているのに、どうしたら良いんだよてな感じで困り果
 
てた顔をするのはこっちだろう。
 
 
 
 
「いいや、回りくどい説明より簡単に言っちゃうよ。今すでに俺、大金持ちなんだよ、
 
いわゆる億万長者」
 
 
 陽一は、もはや呆気に取られるを通り越して茫然としていた。書斎の窓からおぼろに
 
かすんだ月が見えていた。陽一の心はもやのような霧の中に包まれて失望と絶望感に覆
 
われてしまった。
 
 
 
「和彦・・・・・」

【仮想通貨小説】~仮想の果実 3~ 


宴の日

 坂田家には、いわゆる猫の額ほどの庭がある。その庭に入る門柱のステン製の扉を開
 
けると右側に見るからに貧弱そうな雑木がある。
 
多分どこかの鳥が種子を運んできたものだと思う。なぜなら夫婦にはそれを植えた記憶
 
がなかった。それから玄関の脇に申しわけ程度の小さな菜園があるが、そこは順子のお
 
楽しみの場所だ。
 
「今年はキュウリとじゃがいもそれにミニトマトを育てるつもり、去年キュウリが虫に
 
やられて全滅しちゃったから今年はそれのリベンジってとこかしらね」
 
 陽一は、順子の言葉を聞きながら全然別のことを考えていた。和彦の事である「あい
 
つはいったいこの先どうするつもりなんだろう。仕事のこともそうだし、今つき合って
 
いる彼女のこともあるし・・・・・」
 
「ねえ、聞いてる」
 
 順子は肥料袋のビニールを破りながらこちらを睨んでいた。
 
「あなた、いつもそうよね人の話をうわの空で聞いてる」
 
 手のなかに抜いたばかりの雑草を持っていた陽一が少しあわてた感じで答えた。
 
「聞いてるよ、ジャガイモのリベンジの話だろう」
 
「違うわよキュウリよキュウリやっぱり聞いてなかったのね」
 
「ごめん、ごめん」と言いながら、陽一は別の話にすりかえて言った。
 
「今夜、ほら何て言ったかな和彦がつき合っている。さ、なんとかさん」
 
「さやかさんよ、もういい加減覚えないと失礼よ」
 
 あっ、そうかという顔をして陽一は手拭で額の汗を拭きながら言った。
 
「今夜、そのさやかさん来るんだろう?」
 
 順子は、少し呆れた様子で肥料を土にやりながら答えた。
 
「そうなの二人から大事な話があるって和ちゃん言ってたけど何かしらね、まあだいた
 
い想像はつくけど…」
 
「・・・・・」
 
 土は日光に当たり過ぎたのか、少し水気が足りない色をしているがいい感じに耕され
 
ているようだ。 それから、
 
一時間ほど菜園の手入れをしてから二人は家の中に入った。日はまだ高く夕方にはまだ
 
まだ早かったが今夜招待するお客さんの用意をしなくては、ということで夫婦は早めに
 
切り上げたのだった。
 
 

 

【仮想通貨小説】~仮想の果実 2~

 
 

春の日の来訪者

「はーい、今行きます」
 
 妻の順子の声が聞こえ、玄関を開ける音がし続いて若い女の声がした。
 
「こんにちは・・・」
 
「あのー、どちら様でしょうか?」
 
 順子のちょっと警戒するようなそれでいて少し嬉しそうな声がしていた。
 
「あの・・・和彦さんはいらっしゃいますか」
 
「和彦ですか。はい、おりますけど・・・あの失礼ですけどお宅様はどちら様でしょう
 
か?」
 
 そこまで聞いて、陽一は書斎を出てさりげなく玄関を見た。順子の前に、二十四、五
 
くらいに見える若い女性が少しはにかんだ様子で立っていた。
 
「すみません申し遅れました。わたし、和彦さんが以前働いていた会社の同僚で真島さ
 
やかと言います」
 
 陽一が、リビングに入ろうとしているのに気づいた彼女がお辞儀を軽くしたのであわ
 
てて返した。
 
「あ、じゃあちょっとお待ちください」
 
 そこまで言うと順子は二階に向かって声を張り上げた。
 
「和彦、和ちゃんお客さんよ。下りてきて」
 
 リビングで陽一と順子は黙ってコーヒーを飲んでいる。部屋中にコーヒーの香が漂って
 
いた。半分ほど飲んだ所でもう我慢が出来ないという風に順子が口を開いた。
 
「ねえ、あのお嬢さん和彦の彼女かしら、あなたどう思う?」
 
 陽一は、残りのコーヒーをいっきに飲んだ苦みが少し口に残った。
 
「・・・・・」
 
「和ちゃん、結婚とかいろいろ考えているのかしら?」
 
 のん気でいいな、この人はと陽一は思っていた。だいたい結婚してからがそうだっ
 
た。彼女には危機感というものが無い、いや、あるのかもしれないがあまり人前では見
 
せないのだ。まだ、二人が若く和彦が幼かった頃わが家の経済状態はかなり厳しかっ
 
た。仕事は頑張っていたが、なにせ給料が安かった。働いても働いてもなかなか貧乏所
 
帯からは抜け出せなかった。そんなこんなで、ついイライラして彼女にもろに感情をぶ
 
つけてしまったことがあった。そんなときでも彼女は泣きもせず、いや本当は俺の知ら
 
ないところで泣いていたのかも知れないが・・・・・。
 
「何とか、なるわよ」が彼女の口癖だった。今となってみればそれに随分と救われたよ
 
うな気がするが。
 
「ねえ、聞いてる?」
 
 順子に、そう言われて陽一は、コーヒーカップを手でもてあそびながら言った。
 
「あぁ聞いてるよ、でも仕事もしていないのに結婚がどうのとかの話じゃないだろう」
 
「そりゃあ、そうなんだけど…そんな事、何とかなるんじゃないの」
 
 ほら、やっぱり出たと陽一が思った時、二人が二階から下りてきた。和彦は外出する
 
格好をしていた。
 
「ちょっと、出かけてくる」
 
 和彦が靴を履いているその隣で、さやかが笑顔まじりの元気な声で言った。
 
「おじゃましました。これで、失礼します」
 
「まあ、まあお構いもしませんで」
 
 玄関の上がり框のところで、順子が愛想笑いの挨拶をした。
 
「和彦、遅くなるのか?」と陽一が聞いた。
 
「ああ、だから今日は夕食の用意はいいよ」
 
 和彦と真島さやかと言ったお嬢さんを見送った後、夫婦二人は期待と不安が入り混
 
じった妙な気分で書斎と台所に戻っていった。
 

【仮想通貨小説】~仮想の果実 1~ 


老いの誤算

「もう、あれから一年か・・・・・」
 
と、陽一はつぶやいた。つぶやいて、大きな溜息をつく、その後両手で頭を抱えるポー
 
ズをとる。そしてまた、溜息をつくそんな事を繰り返しながら陽一はこの一年を過ごし
 
てきた。坂田陽一は、今年六十二歳になる自宅の住宅ローンは去年終わった。大きな借
 
金もなくそこそこ貯金もある。夫婦仲も人がうらやむほど仲良くはないけれどそんなに
 
悪い関係でもない。順風満帆とは言えないけれど、何とか夫婦二人して子供を育て生活
 
の為とはいえ、仕事もそれなりにこなしてきた。妻の順子は現在五十九歳である、大病
 
もせず陽一についてきた。今は近所のスーパーでパート勤めをしている。そんな、二人
 
の悩みといえば一人息子の和彦のことであった。和彦はいま三十六歳である。大学を出
 
て一流の商社に勤めていたが去年の春、突然会社を辞めた。
 
「あんな、良い会社どうして辞めたんだ?」
 
 それこそ、飽きるほど、陽一は妻の順子と一緒に何回も息子に聞いてみたが和彦の答
 
えはいつも同じだった。
 
「別に理由はないよ」
 
 和彦は、またかというような顔をして言う。
 
「理由はないって、お前それじゃ答えになってないだろう」
 
「いいじゃないか俺の人生だ、親父には関わりないだろう」
 
「関わりないってことはないだろう・・・・・」
 
 会話は、いつもそこで終わる和彦は黙って二階の自分の部屋に行きそれからしばらく
 
は下りて来ない。陽一と順子はなすべなく二階を見つめる。
 
「あの子、どうしてあんな風になってしまったんでしょう?」
 
 と、順子が言った。
 
「・・・・・」
 
 そんなことは、俺が教えてほしいよ。と、陽一は思っていた。自分の書斎から陽一
 
は、庭の樹木を眺めていた。この間まで寒風にさらされてまるで枯れ木のようだった
 
柿の木に、今は若葉が出て太陽の光を充分に受けツヤツヤと美しく繁らせている。
 
「世の中は春、真っさかりなのにこの家はまるで冬だな・・・・・」
 
 陽一は誰に言うともなくそう呟いていた。六十歳の時、会社を定年退職し息子の和彦
 
もまだ結婚はしていないが生活的には独立しいろいろの重荷から解放されて、これから
 
は妻と二人で悠々自適だなとのんびりしたことを考えていた。ゆるやかな春の風が、樹
 
木の若葉を揺らしている。音もなく揺れているその若葉を見ながら陽一は、息子の事を
 
思っていた。和彦は、いろいろな意味で夫婦にとってとても良い子だった。両親の言う
 
ことをよく聞き学校の成績も悪くなかった。変にぐれることもなく、それこそ順風満帆
 
で幼稚園、小学、中学、高校、大学それに就職とすんなりこなしていった。去年の春、
 
会社を辞めるまでは・・・・・。陽一は、心に思いながらいままで言い出せずにいた事
 
を、今日言おうと決めていた。最初,息子が商社をやめたと聞いた時、息子には悩みがあ
 
り、それは人間関係のもつれかも知れないし、もしかしたら精神的に鬱とかの病を患っ
 
ているのかもとも思いなかなか言い出せなかった事だった。 だが、息子の言動や行動を
 
見ていてどうもそんな物だとも思えなかった。健康状態は見たところすこぶる良さそう
 
だし精神を病んでるようにも見えない。部屋に閉じこもりっきりというわけでもないの
 
だ、それは時々散歩と称してジョギングに行くことでもわかる。
 
「和彦、働きもせずこのままこんな状態でいるつもりか。だったらこの家には置いてお
 
けないぞ,今すぐ出て行け」
 
 たった、これだけの言葉が言えず一年もぐずぐずとしている自分が情けないと陽一は
 
思っていた。
 
「よし」
 
 と言って、陽一はおもむろに腰を上げた二階の和彦の部屋に行こうとして書斎のドア
 
に手を掛けたとき玄関のチャイムの音が鳴ったのが聞こえた。