【仮想通貨小説】~仮想の果実 1~ 


老いの誤算

「もう、あれから一年か・・・・・」
 
と、陽一はつぶやいた。つぶやいて、大きな溜息をつく、その後両手で頭を抱えるポー
 
ズをとる。そしてまた、溜息をつくそんな事を繰り返しながら陽一はこの一年を過ごし
 
てきた。坂田陽一は、今年六十二歳になる自宅の住宅ローンは去年終わった。大きな借
 
金もなくそこそこ貯金もある。夫婦仲も人がうらやむほど仲良くはないけれどそんなに
 
悪い関係でもない。順風満帆とは言えないけれど、何とか夫婦二人して子供を育て生活
 
の為とはいえ、仕事もそれなりにこなしてきた。妻の順子は現在五十九歳である、大病
 
もせず陽一についてきた。今は近所のスーパーでパート勤めをしている。そんな、二人
 
の悩みといえば一人息子の和彦のことであった。和彦はいま三十六歳である。大学を出
 
て一流の商社に勤めていたが去年の春、突然会社を辞めた。
 
「あんな、良い会社どうして辞めたんだ?」
 
 それこそ、飽きるほど、陽一は妻の順子と一緒に何回も息子に聞いてみたが和彦の答
 
えはいつも同じだった。
 
「別に理由はないよ」
 
 和彦は、またかというような顔をして言う。
 
「理由はないって、お前それじゃ答えになってないだろう」
 
「いいじゃないか俺の人生だ、親父には関わりないだろう」
 
「関わりないってことはないだろう・・・・・」
 
 会話は、いつもそこで終わる和彦は黙って二階の自分の部屋に行きそれからしばらく
 
は下りて来ない。陽一と順子はなすべなく二階を見つめる。
 
「あの子、どうしてあんな風になってしまったんでしょう?」
 
 と、順子が言った。
 
「・・・・・」
 
 そんなことは、俺が教えてほしいよ。と、陽一は思っていた。自分の書斎から陽一
 
は、庭の樹木を眺めていた。この間まで寒風にさらされてまるで枯れ木のようだった
 
柿の木に、今は若葉が出て太陽の光を充分に受けツヤツヤと美しく繁らせている。
 
「世の中は春、真っさかりなのにこの家はまるで冬だな・・・・・」
 
 陽一は誰に言うともなくそう呟いていた。六十歳の時、会社を定年退職し息子の和彦
 
もまだ結婚はしていないが生活的には独立しいろいろの重荷から解放されて、これから
 
は妻と二人で悠々自適だなとのんびりしたことを考えていた。ゆるやかな春の風が、樹
 
木の若葉を揺らしている。音もなく揺れているその若葉を見ながら陽一は、息子の事を
 
思っていた。和彦は、いろいろな意味で夫婦にとってとても良い子だった。両親の言う
 
ことをよく聞き学校の成績も悪くなかった。変にぐれることもなく、それこそ順風満帆
 
で幼稚園、小学、中学、高校、大学それに就職とすんなりこなしていった。去年の春、
 
会社を辞めるまでは・・・・・。陽一は、心に思いながらいままで言い出せずにいた事
 
を、今日言おうと決めていた。最初,息子が商社をやめたと聞いた時、息子には悩みがあ
 
り、それは人間関係のもつれかも知れないし、もしかしたら精神的に鬱とかの病を患っ
 
ているのかもとも思いなかなか言い出せなかった事だった。 だが、息子の言動や行動を
 
見ていてどうもそんな物だとも思えなかった。健康状態は見たところすこぶる良さそう
 
だし精神を病んでるようにも見えない。部屋に閉じこもりっきりというわけでもないの
 
だ、それは時々散歩と称してジョギングに行くことでもわかる。
 
「和彦、働きもせずこのままこんな状態でいるつもりか。だったらこの家には置いてお
 
けないぞ,今すぐ出て行け」
 
 たった、これだけの言葉が言えず一年もぐずぐずとしている自分が情けないと陽一は
 
思っていた。
 
「よし」
 
 と言って、陽一はおもむろに腰を上げた二階の和彦の部屋に行こうとして書斎のドア
 
に手を掛けたとき玄関のチャイムの音が鳴ったのが聞こえた。